vol.1(2005年11月15日更新)

 




網の目のように張り巡らされた東京都内の鉄道路線は、毎日利用する乗降客にとってさえ、乗り換えが複雑で面倒だ。

そんな乗降客の苦労を大幅に軽減してくれるのが、各駅に貼られている『乗り換え便利マップ』。どの車両に乗ればどの出口や乗り換え口に近いか、エレベーターやエスカレーター、トイレ、公衆電話はどこにあるかが一目でわかるポスタータイプのマップだ。

これを考案したのが、当時いち主婦だった福井泰代さん(39歳)。 話は1995年の夏に遡る。

その日、福井さんはJR西日暮里駅のホームで途方に暮れていた。荷物を持ち、まだ赤ん坊だった下の子供をベビーカーに乗せていた彼女は、改札口に向かうためにエレベーターかエスカレーターを探していた。だが見当たらない。汗をかきながらホームの端から端まで歩いた挙げ句、ようやく見つけたエスカレーターはホームの中央にあった。(なんだ。前もって、車両の真ん中に乗ればいいって知っていれば、無駄足しないですんだのに)

そう思った途端、浮かんだのが、 「不便だと思ったら、そこにビジネスチャンスがあると思え」。その当時、趣味でやっていた発明の講習会で教えられた言葉だった。

福井さんは65年、神奈川県生まれ。88年に成城大学を卒業後、キヤノン販売株式会社に入社したが、92年、結婚・出産を機に退社、専業主婦となった。しかし、家事と子供の世話に明け暮れる毎日は想像以上に単調だった。


家族4人で旅行へ
長男・文也ちゃん1歳のときの家族旅行で。この頃の福井さんは、子育ての中からさまざまな便利グッズを発明していた
そんなある日、転機が訪れた。下の子がくわえているおしゃぶりにゴムの輪をつけて耳にかけ、下に落ちないようにしていたところ、ほかの母親から、「それ面白い! 特許を取ったら」と言われたのだ。

さっそく特許に関する本に目を通した福井さんは、そこで「発明学会」なる団体の存在を知り、同団体主催のセミナーの通信教育を受講し始める。

先の『モーモーおしゃぶり』のほかに、遊びながら平仮名の勉強ができる『あいうえおトランプ』、指の先に子供の嫌がるイボイボをつけた『指しゃぶりストップ手袋』などを考案、発明家として独り立ちできないかと考えていた矢先だった。(そうだ。最初からどの車両に乗れば歩かずにすむか、一目でわかるマップを作ったらどうだろう)

福井さんは駅ではたと閃いた。そこで、自分一人で調べてみることにしたが、その時は、それがどれほど大変な調査になるのかもわからなかった。

「95年の11月、まず世田谷の自宅から近い地下鉄千代田線から始めました。営団地下鉄(当時)と都営地下鉄の駅を合わせるとなんと256駅(現在は274駅)。この駅の一つひとつに降りて、出口を表示してある案内板を写真に撮り、階段やエスカレーターの位置を確認し、手描きの地図に描き込んでいきます。でも家庭があるから、調査に出られるのは土曜と日曜だけ。1日周遊券700円を買って半年ほどかけて回りました。最初は、やってもやっても調べた駅の数が増えず、何度やめてしまおうと思ったことか」 

おまけに当時は、地下鉄サリン事件が起こり、地下鉄全線は厳戒体制。そんな中、駅構内で写真を撮ったりメモを取ったりしている福井さんの姿は挙動不審と思われたらしく、「ちょっと何してるの?」と、しょっちゅう駅員から呼び止められるハメに。

「いやあもう、正気の沙汰じゃないような調査でしたが、途中でやめてしまうと、せっかく集めたデータが無駄になり苦労が水の泡。それで最後は根性でやるしかありませんでした」


アイデアママ創業メンバーと
『乗り換え便利マップ』にはマスコミも注目。タレントの磯野貴理子さんも取材に訪れた
だが、調査と同様に四苦八苦したのは売り込みだった。最初、データをまとめてガイドブックにしたいと考えていた彼女は、出版社に片っ端から売り込んだが、「興味がない」と手応えはほとんどゼロ。その数は50社を超えた。

「布団をかぶって泣いたこともありました。役に立つのになあ、とあきらめきれずに半ば意地になってお願いに歩いていたら、アルバイト情報誌の編集長の目にようやく留まったんです。それで、『千代田線沿線の仕事』というインデックスのところに初めて掲載されました。もう天にも昇るうれしさでしたよ」

96年6月のことだった。しかし福井さんのすごいところは、これだけで満足しなかったことだ。彼女は次のターゲットを営団地下鉄に定め、猛然とアプローチを開始する。実は、アルバイト情報誌の編集長からこう助言されたからだ。

「福井さん、あなたのやっていることは発明じゃない、情報です。情報というのは1つのネタを膨らませて回転させて形を変えて展開できる」

福井さんは目からウロコが落ちる思いだった。そうだ、これは情報だから、紙の上にもソフトにもいかようにも形を変えて繰り返し使える。

「鉄道会社の駅に貼ってあれば大勢の人に見てもらえるし、それに苦心した作品をほかに真似される心配もないのでは」

そう考えて、コネなし、経験なし、実績なしのいち主婦の彼女が、営団地下鉄という巨大な組織に挑むことになった。まさに、クジラに立ち向かうネズミの心境である。

最初は案の定というべきか、けんもほろろに断られた。だが彼女はあきらめなかった。また日を置いて何度も何度も粘り強くアプローチした。おかげで、ついた仇名が「スッポンの福井」。 

ちょうどその頃、社団法人日本能率協会の手帳にも掲載されることが決まったが、個人とは取り引きできないから会社を設立してほしいと言われ、福井さんは97年、有限会社アイデアママを設立した。

「起業家を目指していたわけでもなく、発明を趣味としてやっていきたかっただけなんですが、ある日気がついたら社長になっていた(笑)。ただ、1年やってみて芽が出なかったらやめる、という条件付きでした」

だが予想に反して経営は順調に滑り出した。2年越しで説得を続けていた営団地下鉄でついに採用のゴーサインが出たのだ。98年2月、銀座線の全駅を皮切りに、営団線全線にポスターが貼られるようになった。

一度実績ができるとあとはトントン拍子だ。98年9月には都営地下鉄全線に、その後はJR東日本企画など、福井さん苦心のマップは東京中に広がった。


世田谷区経堂のオフィスにて
2004年夏には正社員が12名に。この直後の9月、現在の神保町のオフィスへ移転
しばらくは、このマップといくつかの発明品を看板にしていた同社だが、福井さんは「これだけではつらい。このノウハウを足がかりにもっと大きく成長できるものはないか」と考えた。そして思いついたのが、人を目的地まで誘導する“マンナビゲーション”というシステムだ。 

最初は紙の上だけだったのが、さまざまな地域・交通情報を、携帯電話やパソコンなどIT機器向けに展開するデジタルコンテンツの企画、制作、販売事業に発展させたのだ。 

2001年1月には、株式会社ナビットへ改組。「ナビット」とは、「ナビゲーション」と「ラビット」を合わせた造語で、ナビゲーションを使ってうさぎのようにピョンピョン前へ進みたいという意味だ。

現在は、交通コンテンツ事業、 地域コンテンツ事業の2事業部を確立。

六本木ヒルズや愛知万博内のナビゲーションに携わり、GPS機能を使って最寄りのバス停を案内する『バス@ナビ』、新しいところでは、韓国の乗り換えマップを携帯電話で見ることができるサービス、Vodafonelive!公式コンテンツ『駅と路線図バス案内』も開始している。

このように、携帯電話などのモバイルの特性がマンナビゲーションにぴったりということもあり、事業は拡大。当初、600万円でスタートした同社の資本金は現在1億4850万円となり、15名の従業員を抱える。

同社の成功の秘密はもう一つある。徹底した人海戦術だ。地域の調査には全国2万5000人の主婦を投入、交通路線の調査には、全国の大学の鉄道研究会のメンバーが当たり、きめ細かい情報を収集している。これらのネットワークがコンテンツ作りに欠かせないのだ。



福井さんの社長としてのポリシーは、「自分がわからなければわかる人を雇えばいい。アウトソーシングすればいい」。つまり、「自分で全部やろうとしない」ことだという。

そうした考え方は、福井さんの実家が温泉旅館を営んでいるところから来ている。福井さんの母は女将として旅館を切り盛りしてきたが、むろん自分ですべてをやるわけではない。板場は板前さんに任せ、仲居の仕事は仲居さんに任せる。女将はそうした持ち場のプロをマネジメントしながら経営に当たる。

「そういう母の仕事を小さな頃から見ていましたから、『餅は餅屋に』という考え方が自然に身についているんです。また、両親から『自分で収入を得なさい。そのほうが面白い』と言われて育ったことも、起業に抵抗がなかった理由ですね」

今を時めくITベンチャー企業の経営者も、自宅に帰れば中学2年の長女と小学校5年の長男の良きママ。

「ちょうど、会社の成長期に子育ての一番大切な時期が重なってしまい、喘息やアトピーで泣いて追いすがる子供を置いていかなければいけないこともありました。でも、子供はあっという間に成長するから大変な時期は3年ぐらい。だから、家庭との両立はできないことはないと思います」

年商10億、社員30人体制が目標だと言う福井さん。求める人材は「少しへそ曲がりで、人と同じことをしないオリジナリティのある人」だとか。なるほど元発明家らしい言葉だ。
働くビタミン 時代を創った女性たち

vol.1 (2005年11月15日更新)

福井 康代

駅の「乗り換え便利マップ」発明者


Fukui Yasuyo
株式会社ナビット代表取締役

気がつけば”主婦発明家”から
交通と地域情報を提供する
押しも押されぬITベンチャー経営者に。

日常生活で感じた不便さにビジネスチャンスを見出し、 情報サービス企業へと発展

網の目のように張り巡らされた東京都内の鉄道路線は、毎日利用する乗降客にとってさえ、乗り換えが複雑で面倒だ。

そんな乗降客の苦労を大幅に軽減してくれるのが、各駅に貼られている『乗り換え便利マップ』。どの車両に乗ればどの出口や乗り換え口に近いか、エレベーターやエスカレーター、トイレ、公衆電話はどこにあるかが一目でわかるポスタータイプのマップだ。

これを考案したのが、当時いち主婦だった福井泰代さん(39歳)。 話は1995年の夏に遡る。

その日、福井さんはJR西日暮里駅のホームで途方に暮れていた。荷物を持ち、まだ赤ん坊だった下の子供をベビーカーに乗せていた彼女は、改札口に向かうためにエレベーターかエスカレーターを探していた。だが見当たらない。汗をかきながらホームの端から端まで歩いた挙げ句、ようやく見つけたエスカレーターはホームの中央にあった。(なんだ。前もって、車両の真ん中に乗ればいいって知っていれば、無駄足しないですんだのに)

そう思った途端、浮かんだのが、 「不便だと思ったら、そこにビジネスチャンスがあると思え」。その当時、趣味でやっていた発明の講習会で教えられた言葉だった。

福井さんは65年、神奈川県生まれ。88年に成城大学を卒業後、キヤノン販売株式会社に入社したが、92年、結婚・出産を機に退社、専業主婦となった。しかし、家事と子供の世話に明け暮れる毎日は想像以上に単調だった。?

turning
point 1
発明家魂に火を付けた
ある日の駅での出来事がすべての始まりだった

そんなある日、転機が訪れた。下の子がくわえているおしゃぶりにゴムの輪をつけて耳にかけ、下に落ちないようにしていたところ、ほかの母親から、「それ面白い! 特許を取ったら」と言われたのだ。

さっそく特許に関する本に目を通した福井さんは、そこで「発明学会」なる団体の存在を知り、同団体主催のセミナーの通信教育を受講し始める。

先の『モーモーおしゃぶり』のほかに、遊びながら平仮名の勉強ができる『あいうえおトランプ』、指の先に子供の嫌がるイボイボをつけた『指しゃぶりストップ手袋』などを考案、発明家として独り立ちできないかと考えていた矢先だった。(そうだ。最初からどの車両に乗れば歩かずにすむか、一目でわかるマップを作ったらどうだろう)

福井さんは駅ではたと閃いた。そこで、自分一人で調べてみることにしたが、その時は、それがどれほど大変な調査になるのかもわからなかった。

「95年の11月、まず世田谷の自宅から近い地下鉄千代田線から始めました。営団地下鉄(当時)と都営地下鉄の駅を合わせるとなんと256駅(現在は274駅)。この駅の一つひとつに降りて、出口を表示してある案内板を写真に撮り、階段やエスカレーターの位置を確認し、手描きの地図に描き込んでいきます。でも家庭があるから、調査に出られるのは土曜と日曜だけ。1日周遊券700円を買って半年ほどかけて回りました。最初は、やってもやっても調べた駅の数が増えず、何度やめてしまおうと思ったことか」 

おまけに当時は、地下鉄サリン事件が起こり、地下鉄全線は厳戒体制。そんな中、駅構内で写真を撮ったりメモを取ったりしている福井さんの姿は挙動不審と思われたらしく、「ちょっと何してるの?」と、しょっちゅう駅員から呼び止められるハメに。

「いやあもう、正気の沙汰じゃないような調査でしたが、途中でやめてしまうと、せっかく集めたデータが無駄になり苦労が水の泡。それで最後は根性でやるしかありませんでした」

写真1
家族4人で旅行へ
長男・文也ちゃん1歳のときの家族旅行で。この頃の福井さんは、子育ての中からさまざまな便利グッズを発明していた

turning
point 2
苦心して手に入れた”情報”の発信源を求め
起業家への道を踏み出す

だが、調査と同様に四苦八苦したのは売り込みだった。最初、データをまとめてガイドブックにしたいと考えていた彼女は、出版社に片っ端から売り込んだが、「興味がない」と手応えはほとんどゼロ。その数は50社を超えた。

「布団をかぶって泣いたこともありました。役に立つのになあ、とあきらめきれずに半ば意地になってお願いに歩いていたら、アルバイト情報誌の編集長の目にようやく留まったんです。それで、『千代田線沿線の仕事』というインデックスのところに初めて掲載されました。もう天にも昇るうれしさでしたよ」

96年6月のことだった。しかし福井さんのすごいところは、これだけで満足しなかったことだ。彼女は次のターゲットを営団地下鉄に定め、猛然とアプローチを開始する。実は、アルバイト情報誌の編集長からこう助言されたからだ。

「福井さん、あなたのやっていることは発明じゃない、情報です。情報というのは1つのネタを膨らませて回転させて形を変えて展開できる」

福井さんは目からウロコが落ちる思いだった。そうだ、これは情報だから、紙の上にもソフトにもいかようにも形を変えて繰り返し使える。

「鉄道会社の駅に貼ってあれば大勢の人に見てもらえるし、それに苦心した作品をほかに真似される心配もないのでは」

そう考えて、コネなし、経験なし、実績なしのいち主婦の彼女が、営団地下鉄という巨大な組織に挑むことになった。まさに、クジラに立ち向かうネズミの心境である。

最初は案の定というべきか、けんもほろろに断られた。だが彼女はあきらめなかった。また日を置いて何度も何度も粘り強くアプローチした。おかげで、ついた仇名が「スッポンの福井」。 

ちょうどその頃、社団法人日本能率協会の手帳にも掲載されることが決まったが、個人とは取り引きできないから会社を設立してほしいと言われ、福井さんは97年、有限会社アイデアママを設立した。

「起業家を目指していたわけでもなく、発明を趣味としてやっていきたかっただけなんですが、ある日気がついたら社長になっていた(笑)。ただ、1年やってみて芽が出なかったらやめる、という条件付きでした」

だが予想に反して経営は順調に滑り出した。2年越しで説得を続けていた営団地下鉄でついに採用のゴーサインが出たのだ。98年2月、銀座線の全駅を皮切りに、営団線全線にポスターが貼られるようになった。

一度実績ができるとあとはトントン拍子だ。98年9月には都営地下鉄全線に、その後はJR東日本企画など、福井さん苦心のマップは東京中に広がった。

写真2
アイデアママ創業メンバーと
『乗り換え便利マップ』にはマスコミも注目。タレントの磯野貴理子さんも取材に訪れた

turning
point 3
1つの情報がビジネスを拡大し飛躍させる ――
株式会社ナビット誕生

しばらくは、このマップといくつかの発明品を看板にしていた同社だが、福井さんは「これだけではつらい。このノウハウを足がかりにもっと大きく成長できるものはないか」と考えた。そして思いついたのが、人を目的地まで誘導する“マンナビゲーション”というシステムだ。 

最初は紙の上だけだったのが、さまざまな地域・交通情報を、携帯電話やパソコンなどIT機器向けに展開するデジタルコンテンツの企画、制作、販売事業に発展させたのだ。 

2001年1月には、株式会社ナビットへ改組。「ナビット」とは、「ナビゲーション」と「ラビット」を合わせた造語で、ナビゲーションを使ってうさぎのようにピョンピョン前へ進みたいという意味だ。

現在は、交通コンテンツ事業、 地域コンテンツ事業の2事業部を確立。

六本木ヒルズや愛知万博内のナビゲーションに携わり、GPS機能を使って最寄りのバス停を案内する『バス@ナビ』、新しいところでは、韓国の乗り換えマップを携帯電話で見ることができるサービス、Vodafonelive!公式コンテンツ『駅と路線図バス案内』も開始している。

このように、携帯電話などのモバイルの特性がマンナビゲーションにぴったりということもあり、事業は拡大。当初、600万円でスタートした同社の資本金は現在1億4850万円となり、15名の従業員を抱える。

同社の成功の秘密はもう一つある。徹底した人海戦術だ。地域の調査には全国2万5000人の主婦を投入、交通路線の調査には、全国の大学の鉄道研究会のメンバーが当たり、きめ細かい情報を収集している。これらのネットワークがコンテンツ作りに欠かせないのだ。

写真3
世田谷区経堂のオフィスにて
2004年夏には正社員が12名に。この直後の9月、現在の神保町のオフィスへ移転

turning
point 4
幼少期から育まれた経営哲学が仕事と家庭の
両立を支えてきた

福井さんの社長としてのポリシーは、「自分がわからなければわかる人を雇えばいい。アウトソーシングすればいい」。つまり、「自分で全部やろうとしない」ことだという。

そうした考え方は、福井さんの実家が温泉旅館を営んでいるところから来ている。福井さんの母は女将として旅館を切り盛りしてきたが、むろん自分ですべてをやるわけではない。板場は板前さんに任せ、仲居の仕事は仲居さんに任せる。女将はそうした持ち場のプロをマネジメントしながら経営に当たる。

「そういう母の仕事を小さな頃から見ていましたから、『餅は餅屋に』という考え方が自然に身についているんです。また、両親から『自分で収入を得なさい。そのほうが面白い』と言われて育ったことも、起業に抵抗がなかった理由ですね」

今を時めくITベンチャー企業の経営者も、自宅に帰れば中学2年の長女と小学校5年の長男の良きママ。

「ちょうど、会社の成長期に子育ての一番大切な時期が重なってしまい、喘息やアトピーで泣いて追いすがる子供を置いていかなければいけないこともありました。でも、子供はあっという間に成長するから大変な時期は3年ぐらい。だから、家庭との両立はできないことはないと思います」

年商10億、社員30人体制が目標だと言う福井さん。求める人材は「少しへそ曲がりで、人と同じことをしないオリジナリティのある人」だとか。なるほど元発明家らしい言葉だ。

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